こんにちは。
カウンセラーのMIZUKIです。
自分はあの人より要領が悪い。
自分よりあの人の方が気配り上手。
自分よりあの人の方が信頼されている。
こんなふうに、自分と誰かを比べて落ち込んでしまうこと、ありませんか?

自分の足りないところばかりに目が向いて、気づいたときには心がすり減ってしまっている…
こういう経験、きっと多くの方にあると思います。
だけど「比べること」そのものが悪いのでしょうか?
「他人と比較するな」と言われることもありますが、人は無意識に誰かと自分を比べてしまう生き物です。
だからこそ、比較そのものを否定するのではなく、その“比較にどんな意味を持たせるか”が大切なのではないかと思います(^^)
比較をどう使うか?比較の2種類
比較に持たせる意味は大きく分けて2種類あります。
それは、「自己否定につながる比較」と「自己理解につながる比較」。
まず、「自己否定につながる比較」とは、
自分を責めるための材料として使ってしまう比較です。
「なんで私はあの人みたいにできないんだ…」
「こんなんじゃ、誰にも認められない」
「自分がほとほと嫌になる」
そんなふうに、比較を通じて自分を否定するようになると、心はどんどん疲弊していきます。
比較が、自分に向けた“武器”のようになってしまうのです。
自分で自分を脅している状態…
そんな状態ではまともに呼吸なんてできないし、自分の長所や魅力も発揮できません。

もうひとつの比較は、自己理解につながる比較です。
「私はあの人みたいに人前で話すのは得意じゃない…けれど、その分、一対一でじっくり話すのは好きで得意かもしれない」
「このスキルはまだないけれど、ここから学べることがある」
「この部分は意外と得意かも…」
そんなふうに、自分の現在地を知ったり、能力発揮の方向性を見つけたりする手がかりとして、比較を利用するんです。

あなたがしている「比較」はどっちだろう?
比較そのものが悪いのではなく、
それを“どう受け取り、どんな言葉を自分にかけるか”が、心を左右する鍵になります。
たとえば、比べたあとに「やっぱり私はダメだ」と感じるなら、
それは自己否定につながる比較になっているかもしれません。
逆に
「あの人のような〇〇はないけれど、私には■■っていう良さがある」
「どちらかというと苦手な分野なのに、それにしてはよくやっている」
「伸びしろがあるなぁ」
「これが私の良いところ」
こんなふうに受け取れたなら、その比較は自己理解につながる比較といえます。
弱さ・未熟さを感じた時にこそ、ありったけの「愛」を
誰かと比べて「私ってまだまだだな」と感じたとき、その部分は“あなたのダメなところ”なんかじゃありません。
まだ時期を待っている芽。
暖かい光を求めている蕾。
あるいはすでに咲いているお花。

そして、そこはあなた自身からの愛や関心をいちばん必要としている場所かもしれません。
そんな場所にこんな言葉を届けたいです。
よく頑張ってきたよね
あなたのペースでいいんだよ
そんなあなたは本当に素晴らしい存在だよ
そこがあなたの魅力のひとつなんだよ
完璧じゃないからこそ愛されるんだよ
自分を否定するのではなく、やさしく包むようなまなざしで。
比較から見えた「弱さ」や「未熟さ」は、あなたがあなた自身とより仲良くなるためのきっかけになってくれるはずです。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました(^^)
