「うまく言えないから話したくない」
昔の私はそんなふうに思っていました。
頭の中にはたしかにあるのに
いざ言葉にしようとすると
思っていることの半分も
表現できない気がする。
本当の自分を
まるで取り出せていないような
そんな感覚がありました。
心の中にあるものと
口にする言葉は
できるだけ一致していなければいけない。
そんなふうにも思っていたと思います。
でも今、改めて思うと、
それはかなり難易度の高いことを
自分に求めていたのかもしれません。
最近、『 はじめて考えるときのように 』
本の中で印象に残ったのは
「考える」というのは
頭の中で黙々と行うものだけではない
ということです。
話してみる。
誰かと会話してみる。
そんなふうに
頭の外に出しながら考えることもできる。
読んだとき
「ああ、たしかにそうだな」と思いました。
自分の中にある思いは
最初からきれいに
整理されているわけではありません。
モヤモヤしていたり
混ざり合っていたり
自分でもそこに何がいるのか
よく分からないときだってあったりします。
そういうものを言葉にするということは
まだ輪郭のはっきりしないものに
試しに線を引いてみるような作業
なのだと思います。

描いてみた輪郭が
「なんか違うなぁ」と
感じることもあります。
でも、その「違う」という感覚を
抱くことが
とても重要だったりします。
それは自分の中に
まだ言葉になっていない何かがある
というサインだからです。
話の受け取り手がいると
さらに面白いことが起こります。
話した内容そのものだけでなく
相手の反応を見て
自分がどう感じるか
気づくことができます。
共感されて
「わかってもらえるだけで良かったんだ」
と感じたり
理解されずに
「思ったより傷ついた」
「本当は共感してほしかったんだな」
と感じたり。
相手の反応を通して
自分が求めていたものが
見えてきます。
また、話しているうちに
「そもそも、自分はなぜこれが悩みになるんだろう?」
という問いが立つこともあります。
この問いが立つと
悩みはただの苦しさではなく、
探究の対象に変わります。
ここからまた、
色々と考えることが始まります。

今の私にとって
「話すこと」とは
自分の内側を完璧に説明するための手段
ではなくなりました。
むしろ
まだ知らない自分を
発見するための効果的な方法
のように感じます。
そもそもうまく言えなくていい。
言ったものがしっくりこなくてもいい。
言ってみて「違った」と思ってもいい。
言ってみて「言うんじゃなかった」とさえ思っても良い。
話すことからうまれるすべてが
自分をもっと知るための
大切な手がかりになってくれます。
だから私は
これからも悩んだときには
誰かに向かって話してみようと思います。
内側と外側を
ぴったり一致させるためではなく、
まだ知らない自分に出会うために。

今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
