プロフィール

はじめまして。
カウンセラーの無川みづきと申します。


私は、HSP気質や幼い頃の家庭環境、学生時代の辛い経験から、20歳でうつ病を発症しました。

対人恐怖や自己否定の悪循環から抜け出せず、約10年苦しんできました。


自分を大切にできず他人に振り回されながら生きていた日々、そして耐えきれず社会から離脱した期間は本当に辛かったです。

そんな私はあるときカウンセリングに出会い、自分を大切にする方法を知りました。
カウンセリングでは、今までの生きづらさの原因が分かり、自分らしくラクに生きていくための安定した心の土台をつくることができました。

現在は、そんな過去の自分と同じようにHSP、アダルトチルドレン、愛着障害、うつなどで生きづらさを感じている方へ向けてカウンセリングをしています。

カウンセリングは、カウンセラーとの相性が一番大事です。信頼できる相手と共に自分自身と向き合うことが必要になります。

より詳しいプロフィールを下部に載せていますので、私のこれまでの人生がどのようなものだったのか、そしてどのように生きづらさを克服したのかを知っていただければと思います。

~目次~

内気で敏感なこどもだった幼少期

両親の喧嘩に巻き込まれ、二人の機嫌を取る日々

不登校になった小学校時代 父に叱られ、本音を閉じ込めた

中学校では、典型的な「良い子」になり、初めて自分の好きな部分ができた

部活動での苦しい経験で固まった「自分はダメだ」というセルフイメージ

クラスメイトからのいじめで更に自分が嫌いになる

「辛い思いをしている子が救われてほしい」という思いから、カウンセラーになる夢を持つ

希望に満ちた大学生活!だったのに…

うつ病の診断と学歴コンプレックスを隠すための国家資格取得

完璧主義や嫌われたくない気持ちに囚われ、4年に4回も転職…

「ダメな自分」を見せることが耐えられず、大切な人間関係を切っていった

やっと「普通の人」になれた気がして嬉しかった

自信を持って臨んだ6度目の転職で、ダメな自分へ逆戻り…

ほぼ寝たきりの状態が続くなか、自分と向き合う決心がついた

カウンセリングで生きづらさの原因と対処法を知り、安定した心の土台を手に入れた

10年越しで、再びカウンセラーの道へ進むことを決意する

もっと早くカウンセリングに出会っていれば…

岐阜県出身、名古屋市育ちです。
1つ上の姉と2つ下の妹がいて、3人姉妹の中間子として育ちました。
家ではマイペースでお調子者。

一方で、人が多い場所では極端に内向的になる子どもでした。

大きい音回転性の運動、イベント事が苦手で、幼稚園ではよく泣いていました。
大人の感情にとても敏感で、親や先生が何を思っているのかを気にするクセもありました。

いわゆるHSC(Highly Sensitive Child)でした。

5歳頃から、両親の喧嘩をよく見ていた記憶があります。
単身赴任の父が月に数回帰ってくる度、両親は夜中まで言い争いをしていました。

喧嘩の内容が分かる年齢になると、「母の味方がしたい」という思いから、私も喧嘩に口を出すようになり、次第に、二人の仲介役に。

聞きたくない時も、「あなたが間に入ってくれないと決着がつかないから」と母にお願いされ、気付けばいつも巻き込まれていました

喧嘩が終わると、言い負かされた相手側へ行き、機嫌を取ったり、話し相手になったりして、自分なりに家族のバランスを取っていました。

不登校になった小学校時代。父に叱られ、本音を閉じ込めた

小学校では登校しぶりがあったり、一時は不登校になったこともありました。

母はいつも、学校までの見送りや授業の付き添いなどをしてくれていましたが、私の気持ちに向き合ってくれることはありませんでした。

学校を休むと父にキツく怒られたため、その恐怖から、次第に行くようになりました。

小学校の時とは一変して、中学校では、活発な学校生活を送りました。

学級委員や合唱コンクールの伴奏を経験、勉強は上位、部活動では中心メンバー、習い事でも表彰されて、典型的な優等生になった時期でした。

注目を置かれる立場にいること、他人より優れていることに、嬉しさや安心感を覚えました。

周りの大人からも「すごいね」と言ってもらえることで、はじめて自分の好きな部分ができました。

部活動での苦しい経験で固まった「自分はダメだ」というセルフイメージ

小中高合わせて9年間、バスケットボール部に所属していたのですが、高校では熱血系の顧問から厳しい指導を受けました。

体力がなく、練習についていけず落ち込むことが多かった私に対して、顧問は私の心の弱さ落ち込みグセを指摘しました。


「子どもじゃないんだからいつまでも落ち込むな」
「すぐに諦めるな。甘えるな。」

真面目だった私は、指導される度に
「早く気持ちを切り替えよう。」
「諦めない。自分に厳しく。」
と決心するものの、
いつも肝心なところで自分の気持ちをうまくコントロールできませんでした。

私のせいで何時間も練習が止められ、チームメイトにも迷惑をかけました。

中学生の時の優等生の自分はどこへやら…。
いつの間にかチームの中で一番の問題児になっていました

チームメイトからも何度もキツく言われましたが、それでも自分を変えることはできませんでした。


試合にはよく出させてもらえていて、そのせいで余計に苦しんだ気がします。
顧問や仲間の期待に応えたい思い、自分への腹立ちと諦めの気持ち…
そして少しの期待…
色んな感情でぐちゃぐちゃになっていました。

ただ自分は辛抱強さがない」「いつまでも落ち込む自分は子供だということ、そして、そんな自分は絶対ダメ」「変わらなければいけないという認識だけが、強く心に刻まれました。

クラスメイトからのいじめで更に自分が嫌いになる

部活動で苦戦している時期、他の問題も起こりました。
部活動もクラスも一緒で、一番仲が良かった友達にいじめられました
あることがキッカケで徹底的に無視をされました

一人で耐えるには苦しく、身近な大人に相談しました。

そんな大人の意見を聞いた私は、気にしすぎる性格や他人から好かれない自分をますます嫌いになり、またどっぷりと自己嫌悪に陥りました。

いじめの苦しみを少しでもごまかしたくて、参考にしたのは職場で理不尽な扱いを受けていた母の姿です。

母も私も、外では何も言わず我慢し、家で気が済むまで本音や愚痴を吐き出していました

「辛い思いをしている人が救われてほしい」という思いから、カウンセラーになる夢を持つ

家で気持ちを発散しているのに、不安でいっぱいでした。
息がしにくくなって、上手に笑えなくなり、半年以上マスクをして過ごしました。

この頃「将来はカウンセラーになる」という大きな夢ができました。

この弱いメンタルをなんとかする方法を知りたい」そして「いつか同じように辛い思いをしている人を救いたい」という気持ちだけが原動力となって、受験勉強に励みました。

希望に満ちた大学生活!だったのに…

高校卒業後は第一志望の大学に受かり、進学しました。
地元から遠い大阪で、心理学の専攻がある大学。
新天地で、高校の自分を知る人は一人もおらず、清々しい気持ちでした。

顧問の言葉を思い出し、他人から好かれる人間を意識して過ごすと、友達もたくさんでき、充実した日々を送ることができました。

しかし、入学から半年後、友人のちょっとした態度の変化や、自分の周りに集まる人数の変化で、時折不安がこみ上げてくるように…。

一緒にいて面白くないって思われてたらどうしよう
気に障ることを言わないように気をつけないと


この不安は、1年かけて徐々に大きくなり、「人が怖い」という気持ちになっていきました。

人が怖い」気持ちと「人が怖いと思っているなんて、絶対にバレたくないそんな人間は好かれないから)」という気持ちが交錯し

やがて、友達と遊びの約束をしてはドタキャンを繰り返すように。

そして、授業もサークル活動も休みがちになった挙句、いよいよ外に出られなくなりました

私の状態を知った母が精神科に連れて行ってくれましたが、診断はつかず。
治療対象じゃないなら自分でどうにかするしかないと思い、半年間コーチングを学び、自分を変える努力をしましたが、自力ではどうにもできませんでした。

そして、3年生の時、大学を退学しました。

うつ病の診断と学歴コンプレックスを隠すための国家資格取得

退学後は実家に帰り、引きこもり生活をしていたなか、別の精神科にかかったところ鬱病と診断され、通院。

2年ほど薬を飲み続けましたが、残念ながら効果を感じることはできませんでした。

学歴コンプレックスがひどかった為、1年間の勉強の末、行政書士の資格試験を受けました。

無事合格したものの、表面的な自信にしかならず。
行政書士として働く覚悟もない自分にまた幻滅するだけでした。

完璧主義や嫌われたくない気持ちに囚われ、4年に4回も転職…

体調やメンタルが自然と落ち着いた頃、アルバイトで不動産の事務職に就きました。

初めての社会人生活はうまくいくわけがなく、非常に苦しみました。

・完璧主義で、ちょっとしたミスをしただけで死にたくなる。
・嫌われたくない気持ちが強く、誰にでも愛想よくする。
・いじめられている人の気持ちを勝手に背負い、しんどくなる。

あっという間にキャパオーバーになり退職しましたが、2ヶ月も休むと身体は元気に。

そして未熟だった私は、次の就職先でも同じようなことを繰り返しました。

”上司の機嫌を取るだけ”
”誰にでもあるようなミスの報告をするだけ”
”お局の謎ルールに付き合うだけ”


ひとつひとつのことはたいしたことないはずなのに、1年が経つ頃にはストレスや自己嫌悪で限界状態になりました。

ストレスは、めまいやアトピー、貧血など、体調にも現れてきました。

そして、ある日突然、起き上がれないほどの疲労感、絶望感から「もうダメだ」「なにもかも終わらせて消えたい」という気持ちに。

仕事に行けなくなり、休み続け、結局そのまま退職しました。

毎回同じようなパターンで、結果的に4年間で4回も転職してしまいました。

「ダメな自分」を見せることが耐えられず、大切な人間関係を切っていった

「我慢しなければいけないのに」「もっと辛抱強くなければ」
分かっているのに続けられない…

そんな自分が恥ずかしくて、ダサすぎて、みっともなくて、自分でいることが辛くて仕方がなかったです。

定期的に連絡をくれる友人や前の職場で良くしてくれた方々との縁も自ら切っていきました

メールの返信をしなかったり、SNSのフォローを外したり…

人間関係は大切にしなければいけない、と思いながらも
こんな自分を見せることが耐えられず、孤独でいることを選びました

やっと「普通の人」になれた気がして嬉しかった

5回目の転職では、派遣社員として事務職につきました。
これまでと同じように人間関係のストレスはあったものの、3年間の期間満了までやり過ごすことができました。

いろんな気持ちを押さえて仕事を続ける自分は、まるで「普通の人」になれた気がして嬉しかったです。

自信を持って臨んだ6度目の転職で、ダメな自分へ逆戻り…

引っ越しに伴った6度目の転職では、税理士事務所から内定をもらいました。

新しい環境に緊張しながらも、「3年間、普通に働けたから大丈夫。」「もう大人なんだから、前みたいな失敗は繰り返さない。」と謎の自信がありました。

しかし、入社してみてびっくり、過去一といっていいほどの戸惑いの連続でした。

家族経営特有の公私混同、パワハラ的な発言は日常茶飯事で、
従業員が捨て駒のように扱われる環境に、完全に萎縮してしまいました。

ただ、そんな自分の戸惑いや不満、不安は押し込めて、ただ一刻も早く会社の戦力になるんだ…と頑張り続けました。

人の入れ替わりも激しい職場で、資格勉強もしながら、一生懸命、前向きに働く私は、社長から気に入られていたと思います。

そんな自分でいるために、出勤前は車の中で泣き、帰宅後は家事も何もできずにただ寝る日が増えました。

週末には1週間分の愚痴を夫に聞いてもらい、怒りや不満をぶちまけました

そして、当たり前のように、その日は来ました。

残業続きだったある日、ついに私の中の気持ちの糸がプツンと切れました。

お昼休憩中、職場の駐車場で泣いていた私は、身体に力が入らず、車から降りられなくなりました。
その時「あ、私、もうダメだったんだ…」とやっと気付きました。

ほぼ寝たきり状態が続くなか、自分と向き合う決心がついた

あっという間に退職し、2ヶ月ほど、抜け殻のように何もできず、ほぼ寝たきりの状態が続きました。

沸いてきたのは「やっぱり、私、ダメか…」という思いでした。

そして「このままうつの回復期を経て、ぬるっと社会復帰できるようになっても、きっとまたどこかで折れてしまう。」「自分の根本の何かを変えないといけない。」と思ったのです。

カウンセリングで生きづらさの原因と対処法を知り、安定した心の土台を手に入れた

それから私はカウンセリングを受けようと思い、ネットで見つけたカウンセリングに申し込みました。

カウンセリングを2回、3回と重ねていくうちに、10年以上抱えてきた自分の「生きづらさ」の原因を理解しました。

・自分と他人の境界線がまるでなかったこと
・過去のトラウマを癒やせていなかったこと
・条件付きの自分しか愛せなかったこと
・○○する/○○しないなんて「恥ずかしい」という思考の山 


また、これまで毛嫌いしていた「HSP」「アダルトチルドレン」について深く学び、それらに当てはまる自分をはじめて受け入れることができました。(克服の第一歩です。)

カウンセラーさんは、そんな自分とどのように向き合っていけば良いのかを教えてくれ、自分を育てなおすサポートをしてくれました。

カウンセリングで教わるうちに、今まで我流でやってきた努力の方向性、頑張り方が全く間違っていたことに気づき、「今までの努力はなんだったのか…もっと早くに頼ればよかったんだ」と気づきました。

そして約半年のカウンセリングで、深い落ち込みから立ち直ることができた私は、これまでにない安定した心の土台を得ることができました。

夫との会話の内容が、愚痴ではなく楽しい内容に変わり、連絡を絶っていた友人とも再び繋がることができました。

周りにいる人達と、心地よい距離感で、傷つかないコミュニケーションをとれた時、「人付き合いってこんなに楽しくてラクなんだ」と感動しました。

10年越しで、再びカウンセラーの道へ進むことを決意する

条件なく自分を愛せるようになった頃、自分の中に「やっぱりカウンセラーになりたい」という気持ちが沸いてきました。

そんな自分の素直な気持ちを大事にしたいと思った私は、本格的にカウンセリングや心理療法、心の病気の勉強を始めました。

学びを社会復帰した自分自身に活かすことはもちろん、ボランティアで始めたオンラインカウンセリングでも活用していきました。

自分を救ったセラピーや知識が「多くの人に共通して効果がある」ことが分かり、さらにホッとしました。

もっと早くカウンセリングに出会っていたら…

長い長い不幸期間をたった6ヶ月のカウンセリングで克服した私は、自信を持って人生のリスタートを切ることができました。

あの時、カウンセリングに行っていなかったら、今の私はいません。

これまでの辛かった人生も価値のあるものだった」と思えるようになった一方で、「もっと早くカウンセリングに出会っていれば…」「もっと早く心の仕組みを理解していれば…」「ここまで人に迷惑をかけることはなかったのに…」という気持ちも正直大きいものです。

今、私は、過去の自分と同じような生きづらさを抱えている方に向けて、カウンセリングを提供しています。

不幸に巻き込まれてばかりの人や失敗、傷つき体験を繰り返し、自分で生きることが苦しい人が、早く「生きるのがラク」になり、幸せな人生をおくってほしいというのが私の想いです。

HSP、アダルトチルドレン、愛着障害、うつなどで生きづらさを感じ
「こんな自分はもう嫌だ」と思った方に本気で寄り添い、人生を変えるサポートします。

このページを最後まで読んでくださった皆さんも、少しでも「自分を変えたい」「ラクになりたい」という気持ちがあれば、是非、勇気を出してご連絡ください。
ほんの少しの勇気であなたの未来が変わります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。